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特集 福博の橋と松本組

松本組はこれまでに、福岡市内で数多くの橋を架けてきました。橋といえば松本組という言い伝えがあるほどですが、最近も橋梁工事が相次いでいます。住吉と春吉を結ぶ灘の川橋は改築工事が竣工しました。また、4年前に集中豪雨の被害を受けた御笠川では千鳥橋と緑橋の架替工事を行っています。これらの橋梁工事を紹介するとともに、過去に松本組が手がけた福岡市内7つの橋を特集してみました。


■福岡市発注
都市計画道路住吉春吉線灘の川橋橋梁改築工事

 那珂川に架かる春吉橋の上流にある橋、それが灘の川橋です。福岡市中央区春吉と博多区住吉を結ぶ約280mの橋ですが、このたび改築工事が行われ、4月27日に竣工式が行われました。改築前は終日大型車通行止め。というより、車が通れる橋ではありませんでした。
 今回の改築工事では片側1車線ながら幅12mとなって、車も通れるようになったのです。灘の川橋の住吉側は、ちょうどキャナルシティ博多の南端。これまで国体道路や清流公園横の橋を通っていた車も灘の川橋を利用できるようになり、便利になったのではないでしょうか。

現場でコンクリート打設。
 橋にはPC橋、鋼橋などがありますが、灘の川橋のようなコンクリートの橋の場合、プレキャストセグメント工法が一般的です。プレキャストセグメント工法 とは、あらかじめ工場や現場ヤードで分割して製作したプレキャスト部材(セグメント)を架橋地点で接合し、プレストレスを与えて一体化する工法です。  また、プレストレスを与えるというのは、コンクリートの最大の弱点である「圧縮には強いが引張には弱い」を克服するために、あらかじめコンクリートに応 力を与えることを言います。そうして作られたコンクリートがPC、すなわちPrestressed Concrete(プレストレスト コンクリート)ですが、灘の川橋の現場では現場の諸条件からPCを持ち込むことができませんでした。そこで、現場で主桁の製作を行った、非常に珍しい工事 となったようです。�  テープカットのあと、さっそく橋を渡ったのですが、パステルカラーのタイルが貼られた歩道や手すりに埋め込まれた夜間照明など、なかなか凝ったところも 見受けられました。



1998年6月29日の集中豪雨を覚えていますか。博多駅周辺でたいへんな浸水被害があったことは、まだ記憶に新しいところです。その後、福岡県が事業主 体となって御笠川で激甚災害対策特別緊急事業が行われています。流域では拡幅や川底の掘削によって再度の被害を防ぐ工事が行われていますが、それにとも なって11の橋梁架替も行われています。このうち松本組は千鳥橋と緑橋の架替工事を担当しています。これは橋が壊れたからではなく、川底を掘り下げること によって川が深くなるため「脚の長い」新しい橋脚が必要になったからなんですね。
千鳥橋
今年デビュー30周年を迎えたチューリップのファーストアルバム「魔法の黄色い靴」には「千鳥橋渋滞」という曲も収められていました。有名な渋滞は今も 健在ですが、かつては西鉄宮地岳線の起点で福岡市内線と接続する新博多駅(後に千鳥橋駅)があり、往時から交通の要衝だったんですね。その千鳥橋の架替工 事を松本組が担当しています。現在は大きくカーブした仮橋が架けられ、その隣で旧橋の撤去のための工事が行われているところです。

緑橋
千鳥橋からは約1km上流にある、これもおなじみの橋。堅粕と祇園町を結ぶ橋は、かつて西鉄の市内電車が走り「緑橋」という電停もありました。じつはそ の頃から、電車専用の橋と自動車専用の2本の緑橋がありました。今回、架替工事が行われているのは祇園町方面へ通じる上流側の橋です。



現在、福岡市内にある橋の数はおよそ2000弱。橋の数がいちばん多いのは西区で、その数は約540です。また、市内にかかる橋の総橋長はおよそ2万 7500mになります。ちなみに市内の橋の総面積は約29万8800kmで、これは福岡ドームのグラウンド、およそ22個分と同じくらいの面積です。
 松本組はこれまで、福岡市内の橋梁工事を数多く行ってきました。その中から7つの橋をピックアップしてご紹介します。ところで、これらの橋の名前、ご存知でしたか?
博多大橋
那珂川とともに中洲を形成している那珂川の分流、博多川に架かるレトロな橋です。夜になると、橋の中央に植物のように密集した照明が行き交う人々や欄干の格子模様を映し出し、とてもロマンティックです。
 博多大橋の架かっている場所には、以前、明治時代に電車開通のために架けられた「中大橋」と呼ばれる橋がありました。現在の博多大橋という名前は、1953年(昭和28年)の架け替え工事後、公募によってつけられました。


西中島橋
1609年、城下町福岡と博多を結ぶ最初の橋としてふたつの中島橋(西中島橋、東中島橋)が架橋されました。当時の西中島橋は、多々良川の多々良大橋を 解体して移築したものだったそうです。ふたつの中島橋は、1892年(明治25年)に一度架け替えられています。赤煉瓦と花崗岩を使用した立派な橋だった そうですが、残念ながら大空襲後に廃橋となってしまいました。ふたつの中島橋は、現在も福岡と博多をつなぐ重要な幹線橋となっています。西中島橋では現 在、架替工事が行われています。その西中島橋のたもとには、国の重要文化財に指定されている福岡市赤煉瓦文化館があります。


柳橋
那珂川にかかる柳橋の最初の架橋は1911年(明治44年)です。市電の軌道専用橋と、それに平行して道路橋が建設されました。橋の名前は、石堂川河口にあった柳町遊郭が医科大学(現九州大学医学部)設置をきっかけに、清川に新柳町として移転したことに由来します。
橋は1966年(昭和41年)に一本化され、現在の柳橋となりました。柳橋の西側は博多の台所である柳橋連合市場です。幅1mほどの通路に約70店が密集し、鮮魚をはじめとする豊富な食材が料理やレストラン、屋台などに提供されています。


福博であい橋
福博であい橋は「福博プロムナード計画」の一部として1990年(平成2年)に架設された、中洲の歓楽街と天神中央公園を結ぶ歩行者専用の橋です。福岡と博多が出会う場所として命名されました。橋の上は公園になっており東屋、ベンチ、花壇が設置されています。高欄やガス灯は、福岡の民謡「黒田節」をモチーフにしてデ ザインされました。
夜ともなるとストリートミュージシャンの演奏が始まったり、橋一帯は、福岡・中洲の名所として市民の皆さんに愛されています。


百年橋
那珂川に架かる百年橋は、橋が架けられた1968年(昭和43年)が明治100年にあたることにちなんで命名されました。
橋を中心に、平尾交差点(中央区)から国道3号の東比恵交差点(博多区)を経て、国道201号の松島交差点(東区)に至る道路は、百年橋通りの愛称で親しまれています。


黒門橋 
黒門橋は、大濠池と博多湾を結ぶ黒門川に架かる橋です。橋の北側は、当仁小学校などが建ち並ぶ暗渠になっています。橋の雰囲気が感じられるのは、欄干のある南側の眺めです。
ところで、黒門川通りの一画には三匹の河童像が立っています。古代、この近辺は大濠公園や草香江一帯まで、博多湾の入り江であったと伝えられています。 「地行河童の松」伝説(いたずらをした河童を縛りつけた松の木)にちなみ、昔のきれいな黒門川をよみがえらせたいという願いが込められているそうです。


室見橋
脊振のふもとから 流れる室見川の河口付近に架かる室見橋の竣工は1958年(昭和33年)。当時の最新の土木技術を施した大型橋梁でした。ちなみに、明治40年代に架設さ れた旧橋はレンガ橋脚を持つ木橋だったそうです。  室見川といえば、白魚漁が有名です。おなじみの白魚料理は生きた白魚を使います。中でも有名なおどり喰いには、一説に、福岡藩二代目藩主・黒田忠之が堤 防修理をさせていた人々の労をねぎらい酒を与えたが、酒の肴がなかったので川の白魚をすくって肴にしたのがはじまり、という伝えがあります。



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